コラム&トピック

被害者から見た一事不再理と法の原則

石川(インターネット管理・メディアサポート)



 冤罪には過ちを正す用意がある一方で、間違いで無罪とされた場合にはその道が存在しないのはどうしてなのか。「疑わしきは罰せず」や「百人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑するなかれ」といった法格言の意味は理解できるが、それが再審への道すら閉ざしてしまうのはなぜなのだろう。

 被害者の立場からすれば無罪判決というものは、犯人も存在せず、さらに真犯人もわからずに無念のみが残る状況となるのも事実であり、さらに無罪とされた犯人が後に有罪であるとわかっても一事不再理の原則により罪を問うことすらかなわないとなれば、本当に救いようがない。

 憲法においては「すべての国民は法の下に平等」と定められているが、被害者等としてはその言葉に虚しさすら覚えている。日本の司法においては、刑事裁判では起訴されればめったに無罪判決は出ないとされているが、逆に考えれば起訴するか否かの段階で有罪・無罪が決定されてしまっているわけであり、一体裁判とは何のために存在してのかすら、わからなくなってくる。

犯罪の線引きと一事不再理
 一事不再理の原則は、検挙されても重い罪で処罰されない方法の一つとしてミステリー小説やサスペンスドラマなどで法的題材として扱われている。一度「過失致死罪」などで確定判決を受けていれば後に「殺人罪」に値するような行為が発覚しても、罪に問われることを免れることができるからだ。

 物語の世界の中での出来事であれば、あくまでフィクションとして楽しむこともできるのであろうが、犯罪被害に自分自身や親しい人が巻き込まれた場合には、法の原則というものが他人事ではなくなってしまう。

 身内が事件に巻き込まれたとき、その事件がどんな事件であり、犯人に対してどんな罪と罰が与えられるのかは、自然に決まるわけではなく刑事上の手続きの中で線引きされる。どのような事件として捜査がされるのかも、そこで決まってくる。

 犯人が検挙されて、事件の真相が捜査や裁判の中ではっきりとしてくれれば良いが、未解決事件となるとさらに問題が重なる。検察も無罪判決が確定するような内容での起訴は控えてしまうために、リスクを取らずにより簡単な罪名で通してしまう。そして警察もそれで捜査を行う。未解決事件になると、ここで公訴時効の問題が発生してくる。刑事事件における時効は、その量刑とバランスするように時効の線引きがなされるものだから、事件が迷宮入りしてしまうと、事件の全容が明らかになっていないにもかかわらず最低限の期間で時効を迎えてしまうのだ。




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