コラム&トピック

突然、事件現場となってしまった自宅への想い
―世田谷殺人事件現場自宅の取り壊し見送りから考える

会員・匿名希望



 しかしその家は近い将来、私の手で片付けるつもりである。私の子供の代に託すべきではないし、遺族である私の命とともに、その寿命を全うさせて全てを終わらせたい。「宮沢邸」も遺族・親族が遠からず、次の世代に先送りすることなく決断する時が来るであろう。犯人逮捕を信じつつ、その時が来るまで見守り続けよう。
HOME, SWEET HOME

「こがねの城を 経めぐるとも、 わが家にまさる すまいはなし。
 したしきおもわ 浮かぶところ、 わが家のほかに あるべきかは。
 ああ、わが家よ、みめぐみつきぬ 愛の園よ。」(讃美歌 第二編147番)

 面白おかしく「事故物件に住む!」といった企画を目にすることがある。そこには「損か得か」という視点のみであり、究極の選択の対象として揶揄されるのが傷ましい。どんな家も「SWEET HOME」になるべく夢を背負って生まれてきたのである。
 私が育った地方農村では何代も続く古い家は珍しくないが、家屋の資産評価が低く、またマンションが中心となる都会ではとくに、住まいは<一代一戸>になることが多い。事件に絡む住宅が中古物件として残ることは難しく、その土地だけが新たな所有者に引き継がれていくのだろう。

 長年「被害者の回復」について何が必要なのかと考え続けてきた。それは私自身の回復・立直りの歩みであり、様々な葛藤、後悔の中で、「時間は元には戻らない」という真実をどう受け入れていくかという歩みである。宮沢さん遺族にとっても、今はまだその時から時間は止まったままであろう。しかしその想いを関係者が尊重し、見守ってもらえる環境にあることは幸いである。
 そう、やはり誰かに手助けしてもらわなければ、被害者遺族が立ち上がることは困難である。経済的な支援のみ強調されることが多いが、少しずつ日常を取り戻す過程、きっかけは様々だと思う。私は残りの人生が見えてきた今、亡くなった家族の供養を心の支えとし、新たな家族が与えられ、信用する友人に出会い、日々小さな楽しみを見つけようと努めている。
 生きていくこと自体がつらいと苦しんでいる被害者遺族へ、その時計が動き出すために、私たちが通ってきた道を伝えていければと願うばかりである。
 

会員(匿名・東京都)

 
【お詫び】
 当会では事件・被害者について、原則実名表記を主張していますが、今回は記事中の住宅に現在居住中の家族のプライバシーと安全を配慮し、筆者に係る事件、被害者氏名を明記しなかったことをお詫びします。   



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