コラム&トピック

コロナ自粛下での活動に思う

犯罪被害者家族の会ポエナ事務局



 当然、社会に訴える場所をインターネットに見出し、チャレンジする被害者も増えつつある。実名で行動する覚悟があれば、直接訴えられるSNSは極めて有効かもしれない。信じられないほど迅速に、スマホやドライブレコーダーからの情報を入手することも可能であろう。他方TVは相変わらず「被害者の涙」、「無力な被害者」の演出に執着する一方で、被害者の訴え、主張を深掘りすることなく、SNSからの映像を引用、垂れ流し続けているのが現状である。もし被害者・遺族が匿名を望み、メディアが顔を映さない画面・紙面が定着すれば、報道の力は次第に弱くなっていくだろう。
 一方、次第に人々はインターネット空間という世論に参加できる場の魅力に吸い込まれ、相互に監視する社会を肥大化させつつある。何年もかけて集めた署名よりも、一瞬にして書き込まれた膨大な投稿によって政治は反応する。今やマスコミの報道はネット社会の後追いであり、日々ネットの反応を怖れ、見えない顔色をうかがいながら慎重に言葉を選んでいる様に見える。

 これからもSNSを通して、個人で立ち上がる被害者は確実に増えていくと思われる。これまでの活動は金銭的、労力的、何よりも時間的に大きな犠牲を覚悟しなければならなかった。その壁をいとも簡単にクリアできる。さらに「高齢化」という問題を抱えた現状の被害者団体に対し、若い被害者が中心となって声を上げ、新たなネットワークを創出していけるかもしれない。
 しかし、これまでメディアのフィルターを通して報道されることにより、被害者個人への直接的な攻撃から守られていたことも否定はできない。市民の怒りは「そんな報道をしているTV局、新聞、週刊誌が悪い!」のであって、大多数は被害者との直接的な接点は無く、一部の悪質的な中傷・嫌がらせ等はあったものの、警察や弁護士、支援団体等の援助を受けつつ、苦労しながらも個人、家族の生活が守られてきた。
 ネット上で賛同するコメントに勇気づけられ、さらに膨大な数の広がりを目の当たりにできるとしたら、まさに夢のようである。とはいえ、どのような事件の被害者であれ、否定的な数も相応にあることを覚悟しなければならない。「匿名」の書込みが許されるからこそ、誹謗中傷、デマの嵐に追いつめられるかもしれない。すべて「自己責任」で片づけられるとしたら、より甚大な二次被害、三次被害を生み出し、場合によっては新たな犯罪の温床にもなりかねない。

 私たちが向き合ってきたような重大事件の被害者であればこそ、性急な発信の前に慎重に準備、検討を重ねるべきであり、「正義の発信」としてチャレンジできる環境、法整備を要求していくことが、これからの被害者支援活動の重要なテーマとなるだろう。
 自粛期間中もいくつか取材のお申し出を頂いたが、現状すべてお断りせざるをえず、また今後の予定も流動的であり、再開の見通しも明言できない。「コロナ後の社会」はどう変化しているのだろう。今は私たちができること、やらなければならないことを、考える時間なのだと受け止めている。




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