コラム・会員の声

当事者が声を上げるということ

石川(インターネット管理・メディアサポート)

 私は犯罪被害者や被害者の家族ではなく,協力者として声を上げた当事者の皆さんのフォローに回っている者です.こちらのホームページの様に,犯罪被害に遭われた方や家族といった当事者が直接情報発信できる場所を維持するサポートをしています.
 普段は裏方なのですが,今回はコラムということで,「犯罪被害者・家族の当事者が声を上げる」ということがどんな事なのか,サポーター視点で考えてみたいと思います.
目次
声はたやすく消えてしまう
 犯罪が起こった時に,その情報(声)を社会に伝えることになる近代的なマスメディアやジャーナリズムは,その担い手が一部のプロフェッショナルに限られ,当事者意識などはなく,業界の諸事情などにより事件の記事などは容易に伏せられてしまいます.グーグルなどのネット検索を利用しても新聞社のサーバーから記事が削除されてしまえば閲覧できなくなりますし,判例を探したり大きな図書館に出向いて過去の新聞記事をわざわざ閲覧したりするような事など,一般人からしてみれば敷居の高い行為であると言わざるを得ません.声とは,容易く消えてしまうものなのです.

 インターネットの仕組みは,ソーシャルメディアサービスの発展を見るように,個人が情報を発信する場合には大きな強みを発揮します.新しいメディアを活用することで,マスメディアだけではなく,誰もが情報を発信できる様になりました.事件や災害は,SNSを通して速報され,多様な考え方にも触れられる様になり,既存のマスメディアの存在すら脅かしています.

 当会・ポエナからの情報発信も,こうしたポイントを意識して,当事者や関係者本人たちの直接の声であることを重視しています.声を残し,そうした声もバラバラに断片化された状態では力を持ちませんので,「声のつながり」を創ってゆくことが被害者団体としての大きな目的となっています.

被害者感情と理性の狭間で
 「当事者が声を上げる」ということ.言葉にしてみると簡単に聞こえますが,やはり葛藤が伴います.犯罪被害者や家族の間であっても,それぞれ背景は異なりますし,意見を違える場合もあります.新たなつながりは,それまでに無かった課題点も浮き彫りにさせます.

 ポエナの会での出来事を例に挙げてみましょう.

 当会の設立を呼びかけた小林邦三郎は,1996年に発生したJR池袋駅山手線ホーム上立教大生殺人事件の被害者遺族(父)であり,家族で懸賞金をかけて情報提供を求めていました.犯罪被害者の遺族らが捜査に関係する情報に懸賞金をかけて,それが事件解決に結びついた先例もあります.
 とはいえ,それが常態化してしまうと“被害者家族の私的資金力”が捜査に影響することになります.もちろん家族が懸賞金をかける自由はあるのですが,それにより社会に不平等をもたらしてしまうのであれば,不本意な結果となってしまいます.声をつなげてゆくと,このような側面も浮き彫りになってきます.

 当事者としてどうすれば良いのかと考え,事件の重大性や,捜査への有効性に基づいて懸賞金がかけられるように「公費」による制度を求めました.幸いなことに2007年の4月から公費懸賞金制度が導入されています.

 さらにぶつかった問題が「時効の撤廃における法の遡及効」というものでした.

 残念ながら池袋駅での事件は現在でも未解決のままです.犯罪により命を奪われた被害者の尊厳と遺族の被害からの回復のためにも「凶悪事件の時効撤廃」という声を上げてきました.そして2010年4月27日に凶悪事件の公訴時効が撤廃され,当該事件も時効撤廃の対象となりました.それ自体はとても喜ばしい事だったのですが,法律が改正される以前の事件にまでその効力が及んでしまう「遡及効」に対する懸念が残っていました.

 後から法律を作って遡って何でもできるようになってしまえば,法を守るという意識を害してしまいます.両親は「自分たちの被害者感情で,法律の原則を歪めてしまう」という現実に悩み,結局,自ら公費懸賞金制度の対象からの辞退を要望するに至りました.

 これは「刑事」での事例でしたが,「民事」でも葛藤があります.

 犯罪被害に遭遇した場合,被害者は被害の賠償を加害者側に求める事ができます.
 殺人事件の場合など,被害者家族の立場から見ますと,亡くなった家族を金銭に換算することになりますから,提訴するだけでも相当に辛い行為に他なりません.
 さらに,その民事訴訟に勝訴したとしても,加害者側の支払能力という問題があります.罪を犯すぐらいですから加害者側には支払い能力が無い場合も多いですし,資産を他に付け替えて逃れようとするような事例もありました.

 犯罪被害者の家族が加害者に賠償を求める民事訴訟というものは,時として回収の難しい債権,言うなれば「不良債権」を自ら抱え込みにいく様なものなのです.被害者や家族が賠償金をしっかりと受け取るのは,難しいのが現実です.そこで兵庫県の明石市が,2014年の4月から賠償金の一部を立て替える「立替支援金制度」をはじめています.未払いの賠償を抱えた被害者側から見ても,とても助かる革新的な救済制度といえます.

 しかしながらこのような救済制度も,規模が小さいうちは良いのですが,被害者感情で不良債権を国に押し付けている様なものですから,バブル崩壊以降,不良債権処理で塗炭の苦しみを味わった日本社会全体から見れば疑問符がつくものでもあります.少なくとも何らかのかたちで加害者側からの債務回収の道筋を示さない限り,制度の拡大は難しいでしょう.犯罪被害者が声を上げて,それが国の制度や広く社会を動かす様な事があれば,時として被害者の側が批判を受けることもあります.そんな時に真摯に批判と向き合うことができなければ,被害者がバッシングの対象となってしまいます.

 「声を上げたことに対する責任」もまた,存在しているわけです.
 被害者としての感情と理性の狭間での葛藤となりますが,それもしっかりと受け止めていかなければなりません.

 さらには「犯罪被害者として声を上げる」事自体がとても困難である場合もあります.
 性犯罪などの例では,ただでさえ声を上げるのが難しい上に,起訴されて司法の場で裁かれない事も多く,和解や不起訴になった件で犯罪の被害として声を上げられるのかという問題が起こります.一筋縄ではいきません.そして触法精神障害者による被害があります.日本の刑法では,39条で「心神喪失者の行為は罰しない」と定められています.実際には起訴前の精神鑑定の段階で処置が決まってしまい,被疑者が司法の場で裁かれるのは稀です.その様な事件で被害者が「犯罪被害者」として声を上げると,それが逆に人権侵害になってしまうわけですね.触法精神障害者による犯罪被害を受けた当事者や家族から直接情報を発信する事は,遺憾ではありますがいまだ難しい状況にあります.

できることを模索する
 犯罪の被害に巻き込まれる可能性は,誰にでもあるものです.
 これまで犯罪被害の当事者として声を上げてきた人たちも,実際に被害に遭うまでは「まさか自分が当事者になる」なんて思ってもみなかったと言います.まさにある日突然,当事者になってしまうのですね.事件が起きてはじめて自分の親しい人間が置かれていた状況を知り,何も知らなかった,何もできなかった自分を責めてしまうこともあります.激しいショックを受ける一方で行政手続きなどでやることが山積みになってゆき,当たり前だった日常から切り離され,社会から疎外されてしまうのです.
 そんな中で,被害者や家族はできる事を模索してゆかなければなりません.

 その時に犯罪被害者や家族にとって後々まで必要になってくるものが「記録」です.

 当事者として声を上げることも,損害賠償を求めて提訴して原告になるにしても,その事件についての具体的な記録が手元に存在しないと,どうにもならなくなってしまいます.民事の場合,被害者側(原告)の行動についても問われます.事件当初の家族の対応を示すために,携帯電話の通話記録が必要になったという例もありました.これも時間が過ぎてしまうと,どうしようもありません.

 事件の情報を残すことは,巻き込まれた被害者本人にはさすがに無理な話です.家族や友人,親しい方が支えて上げてください.家族も相当なダメージを受けるのが常ですが,時系列を追いかけられるだけの情報が残っていれば,それだけでもできる対応の幅がまったく違ってきます.家族の間でも,人によってそれぞれ被害のショックから冷静になれるまでの時間はだいぶ異なります.万が一の際には冷静になれた人が記録を付けておいていただけると,後々後悔をしないですみます.本当に簡単なメモだけでもあれば助けになることがあります.

 また「記録を残すこと」であれば,犯罪被害者や家族といった当事者でなくともできる事です.ドライブレコーダーやスマートフォンのカメラによる動画など,以前にはなかった方法による情報共有が事件解決につながる可能性も出てきました.「事件が起きたのを目撃したときにスマホを向ける」といった行為には倫理的な問題がありますが,目撃者探しや情報提供を求めている未解決事件ではなくとも,あとほんの少しだけでも情報があれば状況も違っていただろうということがあります.犯罪被害や事件などとは関係のない方でも,何かあったときに,ほんの少しだけでも注意を払っていただければ幸いです.

 当事者が声を上げることには葛藤が伴いますし,自分たちで文章や映像にして記録を残すことも負担のかかることです.情報をつなげてゆくと,思わぬことも起こります.それでも一歩ずつ,少しでも犯罪被害に巻き込まれた人たちが救済され,理不尽な事件が抑止される良き社会に結びついてくれればと願ってやみません.

石川(インターネット管理・メディアサポート)

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