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00288/00500 QWE01503 松本@GPF 広場の紹介: グリーンパーク(続)名称と歴史
( 8) 95/07/19 17:28

グリーンパークの名称と歴史にも一言。
この場所は、公園・団地・商店街・NTT研究所を含めて、戦前の中島飛行機のエンジン工場の跡地です。米軍の爆撃で沢山の工員が死んだそうです。昭和40年代まではこの付近で不発弾がよく出ました。この地域全体の通称がグリーンパークです。(因みに団地・商店街・NTT研究所の所番地は緑町ですが、公園だけはなせか八幡町です。)ただ、模型飛行機仲間ではグリーンパークといえば公園です。
現在の公園敷地は戦後は米軍の将校宿舎でした(昭和40年代後半まで)。近隣住民は 垣根越しに巨大乗用車や野外バーベキューなどアメリカンライフを羨望したものです。その後米軍は撤退し、土地は都が買収して整地され、草の種が蒔かれて草原になりました。
一時は夏場に雑草が大人の腰まで伸びたことも有ります。 しばらくは立ち入り禁止でしたが、多分1979年実際は1978年春頃から立ち入りが可能になりました。 その情報を最初にキャッチしたのが、当時広場の隣の電電公社の武蔵野研究所に勤務して いた紙飛行機の名人・二宮さんです。この情報は直ちに小金井公園を根城にしていたゴム のグループにも伝えられ、小金井公園のグループも合流してグリーンパークの模型飛行機や凧の歴史が始まりました。
今は亡き萱場達郎さんの「やさしい模型飛行機ガイド」(1980年誠文社新光堂発行)の機体の調整や写真撮影はこの広場で行われています。紙飛行機の木村杯も初めのころは、まだご存命の木村秀政先生が臨席されていました。勿論二宮さん主催の「紙飛行機を飛ばす会」もこの広場で始まりました。(私も第1回のビラはりを手伝いました。)
その後この空き地をどうするかは、都・市で色々議論されたようです(個人的事情で当時のことはまた聞きです)。グリーンパークの団地を中心とする近隣住民、二宮さんや「遊ぼう会」の矢島さんなどを中心とする飛行機や凧の仲間の尽力で原っぱ公園にすることが決まり、正式に都立の公園が発足したのは6年前です(1989年6月1日)。

公園の模型飛行機関係の行事は仲間の誰かが追々ポストする事になると思います。

松本@GPF