日本の少子化防止プラン
(PART V)

提案日:2005年8月27日


基本的考え方

 これまでの少子化対策が効果を上げていない理由

行政におけるこれまでの少子化阻止策の中心は、社会制度の改革や福祉施設の充実化、行政サービスの拡充など。その背景にあるのは「社会を整備することにより、子育てしやすいようにして、少子化を防止しよう」という考え方である。発想はもっともであり、的外れとは思えない。しかし、効果が出ていない。どのへんに原因があるのだろうか。

まず考えられることは、「行政は信用されていない」ということ。その代表例が年金問題である。「たんまり年金保険料をふんだくられて、いざ自分がもらえる年齢になると、果たして支給額がいくらになるか分からない、年齢によっては支払額以下になってしまうことは確定的、行政の出してくる数字は詭弁や超楽観的な予測論ばかり」というような状況では、「年金制度を信頼しろ」といってもそれは無理な話だ。東京都では多摩ニュータウン事業、日本全国では経営不振の第三セクター事業など、行政事業の失敗も相次いでいる。さらに、公務員の犯罪や不祥事も、減少する気配がない。これだけ無様な姿をみてしまえば、「行政は信用できる」という人が少数派になるのは当然だ。

第2にとしては、予算が限られているからであろう、施策のパワー不足だ。たとえば低年齢児(0〜2歳児)受け入れは、1994年度の45万人からエンゼルプランで56万人(目標は60万人)、新エンゼルプランで目標68万人に増加しているが、この程度では焼け石に水だ。共稼ぎの子育てには認可保育園(無認可保育園よりも保育料が安い)が必要不可欠なのに、育児休暇明けで申し込む場合(子供の年齢は0歳児か1歳児)、倍率はいまだに10倍を超えることが珍しくない。区市町村によっては30倍とか50倍という数字も耳にする。

第3に考えられるのは、目玉不在による施策のインパクト不足。エンゼルプラン、新エンゼルプラン、新新エンゼルプランのいずれにも、「これだ」と国民一般に強烈にアピールできる事業がない。特に新新エンゼルプランは、「保育事業中心にやってみたがダメだったので、もう少し領域を広げてみよう」ということで、幅広い領域にまたがるプランとなったので、それぞれの施策がますます小粒になってしまったような観がある。

第4としては、社会システムの面ばかりに注意が向いていて、人間の行動心理学的なアプローチが少ないこと。ニワトリならば「子育てしやすいぞ」という環境を作っただけで、せっせと子づくりを始めるかもしれないが、人間はそう単純ではない。もっとマーケティング的な視点で考えないと、人を動かすことはできない。

第5に考えられるのは、子育てのマイナス面を軽減しようとする施策ばかりで、プラス面の強調がなされていないこと。そのため、並んでいる少子化防止策のメニューを見ただけで、「やっぱり、子育ては大変なんだよな」と暗く悲しい気持ちになってしまう。子育てに夢や希望、さらにはロマンを感じてもらうためには、プラス面の訴求が必要不可欠だ。

 解決の方向性

まず最初に、「子供を育てるのも、なかなかいいもんだ」という価値観の普及促進が必要である。この点を無視していては、いくら社会システムを整備しても、空回りに終わってしまう。

次にやるべきことは、社会システムの整備とともに、人間の行動促進である。この場合の行動とは、男女がしっかりとした大人になって、どこかで出会って、気に入ったら親密になり、がんばって子づくり行為を行い、その前か後に婚姻をして、しっかり子育てをして、さらに第2子・第3子・・・・の子づくりと子育てをしていく、という一連のもの。これらの各段階を男女がそれぞれ滞りなく通過できるようにすれば、子供は必ず増加するはずだ。

 ターゲットに関する考え方

世の中には、しっかりと子づくり・子育てできそうな家庭もあれば、そうでない家庭もある。たとえば夫婦ともにフリーターというような家庭では、経済的な余裕が少なくさらに収入が不安定であるため、たくさんの子供が産まれることはあまり期待できない。また、地価水準はダイレクトに世帯あたりの住宅面積に結びつくので、同じ収入であっても都市部の住民の方が非都市部の住民よりも、スペースの点で子づくり・子育てをしにくい状況にある。

このように考えると、子づくり適齢期の男女すべてを対象としてすべての施策を展開するのは効率が悪い。子づくり適者には厚く、そうでない者には薄くという、「畑にはタネをまくが砂漠にはタネをまかない」式の戦略的な施策展開の方が、効率的な予算配分になるものと思われる。

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