ロイヤルハワイアン滞在記

(1993年7月)


2.行きの道のり

 搭乗するまで

7/3午後、自宅をクルマで出発。ビジネスクラスなので、2時間前といった集合時間はなくて、便に間に合うように行けばいいので、多少は気が楽。それでも何かあったら面倒なことになるので、便の4時間半前に家を出た。渋滞がほとんどなく、出発の3時間くらい前に、空港そばの民間パーキングに着いてしまった。

何回か使ったことがある某パーキングは、最初の1日2000円、その後は1日1000円で、7泊9日の日程だと計10,000円になる。ここで、アメリカ文化圏での「大きい声で言った者の主張が通る」に慣れるためのトレーニングとして、「もうここを利用するのは3回目くらいだ、1年前よりも高くなっている、期間が長いんだし少しはまけろ、なんだらかんだら」とおじさんに言ったら、9,000円にしてくれた。言ってみるもんだ。

バンで送られて、2時間半以上前に成田空港に到着。チケットは事前に手許に届いているので、まっすぐチェックインカウンターに向かって荷物を預けた。身軽になったところで、いつもの習慣で飛行機が見えるコーヒーラウンジへ。2時間くらいのんびりぼーっとして、(ただし、コーヒーは3杯づつ頼んで売上には協力した)、この時点ですでに幸せであった。さすがに娘はずっといい子にはできないので、親が交代交代でお散歩。おもちゃ店でひとしきり遊んで、建物のはじからはじまで歩いて、窓に張り付いていろんな飛行機を見たり、そんなこんなで出発45分前。

出国審査では、娘をだっこして娘の分のパスポートを提出。生後6カ月のポヨポヨした顔の写真が貼ってあるので、2歳半の今とはかなり趣が異なる。しかし、審査官は一瞥くれただけでOK。この調子なら、子供の場合は他人のパスポートで海外に行くのはけっこう簡単だと思う。

 機内

ゲートでは、搭乗がはじまっていた。行列の最後について機内へ。わが家は枕と毛布が必需品なのだが、さすがビジネスクラス、棚の中にたっぷりと用意されていて、どう見ても人数分以上あるのでひと安心。機内に持ち込んだ荷物は、大人の長袖シャツ、子供の着替え2セット、小さい絵本3冊、ミニカー数台、カメラ、ガイドブック、子供用のスプーンとフォークなど。子供用の食べ物は、ブドウパン1袋、おせんべ1袋、小さな牛乳2パックなど。

ほぼ定刻通りの19時ころ離陸。ビジネス・エコノミーともほぼ満席。1階のビジネスクラスの客は日本人よりも欧米人の方が多い。季節外れなのか、土曜日だからか、新婚さんは見あたらなかった。子連れはわが家以外には1組だけ、欧米系ファミリー。

水平飛行に移ってしばらくしたら、まずはうやうやしくウェルカム・シャンペン。「お子様にも何か・・・」と言うので、牛乳をもらった。その後、食事の用意がはじまった。胸に赤いリボンをつけた日本人スチュワーデス(若くて細いが1名だけ、その他はたくましいアメリカのおっかさんばかりといういつものUAのパターン)が、日本語で食事の予約内容を確認に来た。布のテーブルクロスが敷かれて、食前酒は、私はビール、カミさんはオレンジジュース、娘は牛乳。

最初に出てきたのは、アメリカのおっかさんがニコニコ何か言いながら持ってきたお子様ランチ。長い時間待てない子供の心理に対応した、いいサービスというか、当然のサービス。日本では、“ファミリーレストラン”とうたっていても、マニュアルがしっかりしていないチェーンでは、子供の食事が最初に出て来るとは限らない。しかし、アメリカのレストランではこのくらいは当たり前、これができないウェイトレスのチップは減らされて当然だ。「弱者優先」のコンセプトが確立している点で、アメリカ流のサービスはもっと評価されてもいいと思う(がさつで無神経というデメリットは確かにあるが)。

お子様ランチの内容は、ハンバーガーやフライドポテト、フルーツ、ゼリーなど、けっこう盛りだくさん。幸いにもハンバーガー以外は好物なので、娘はじっくりと良く食べてくれた。おかげで大人もゆっくり食べられ、食後のコーヒーも3杯飲めて、幸せだった。スチュワーデスが日本のデニーズよりも頻繁にコーヒーのおかわりを持ってうろうろしている点も、まことに良かった。料理の味は、そもそも機内食だし、決して美味しいとは言われていないUAだし、あまり期待していなかったのだが、予想よりは美味しかった。

食事の後、絵本を1冊読んでいる間に、娘は指チュパをはじめた。眠たくなったサイン。ムフフ、作戦通り。実は早く寝かそうと思って、今日は恒例の昼寝をさせなかったのだ。しばらくはリクライニングさせた椅子にもたれていたが、やはり熟睡できないようなので、足元の床に毛布を3枚広げて、その上で寝かせた。さすがビジネスクラス、親が両脇の席で、真ん中の席を空けてその足元に娘を転がしておくと、親の足と足の間で充分眠れ寝返りも打てるくらいのスペースがある。すぐに熟睡に入って、その後の映画(寝ている真上のスクリーンに上映される)の光にも全然反応せず、良く寝てくれた。

眠れるときに寝ておこうと、フルにリクライニングさせて、毛布にくるまった。うーん、エコノミーに比べたらすごく寝やすいけど、フルフラットになるならもっといいな、などと思いながら、私はすぐに寝ついた。

途中、1回目が覚めた。暗くて、エンジン音以外は静か。娘は足元で、上からかけた毛布を脇に押しやって、大の字になって寝ている。定期的にスチュワーデスが巡回していて、目が合ったら、「何か飲むか?」と聞いてくれたので、オレンジジュースとコーヒーをもらった。その後しばらく寝つけなくて、薄目を開けてスチュワーデスの行動を観察していたら、大人の毛布のずれを直して歩いているだけでなく、うちの娘の毛布もこまめに直してくれていた。上からかけてもすぐにけ飛ばしてしまう娘なので、何度も何度も直してくれたことだろう、ありがたいことだ。

長時間で肉体的にしんどい仕事のはずだが、UAのおっかさんスチュワーデスは、滅多なことには壊れない雰囲気なので、痛々しいほどではないし、本人も疲れた様子をほとんど見せない。「寝ている客をしっかり見守る、頼りになる丈夫な番犬」というイメージで、だから気兼ねなくものを頼める。この点で、私はUAが気に入っている。食事のトレーを床に落としたり、コーヒーカップからコーヒーが飛び出したり、忙しい時は毛布を投げてよこしたりするので、「サービスががさつだ」という声もあるが、細い日本人スチュワーデスと比べると、身体のサイズも指の太さも全然違うアメリカのおっかさんに同じような繊細なサービスを求めるのは、無理というものだと思う。

またしばらく寝て、ちょっとざわついてきたなあと目を開けたら、朝食の準備がはじまっていた。窓の外には海。大人は朝食を食べたが、娘は起きそうにないのでそのままにしておいた。日本時間では深夜なので、下手に起こさない方がお互いの幸せのため。

行きの飛行機は、フライトの時間帯が夜〜深夜(日本時間)で、子供が良く寝てくれたのでとても助かった。生後9カ月でアメリカ西海岸へ連れて行った時と比べると、今回はおむつは取れているし、ひとりで椅子に座っていられるし、自力でごはんを食べてくれるし、「静かにしろ」と言うと静かにできるので、大違い楽勝だった。

 ホノルル空港

現地時間の朝7時ころ、ホノルル空港に到着。半分寝ている娘をだっこして、入国審査へ向う。飛行機が続いて到着したのか、部屋からあふれんばかりの長い長い行列。窓口の処理スピードと列の人数から計算すると、1時間くらいはかかりそう。群衆を見渡すと、子連れファミリーもたくさんいる。誰かの情報で「子連れは優先される」とあったので、係員の目につきやすいよう、部屋の奥、窓口に向かって左のいちばん端の列に並んだ。するとほどなく、ハワイのおっかさんタイプの係員が私たちを見つけて手招きする。さてはうまくいったかなと思って行くと、列の先頭で「ここで待ちなさい」。ラッキー。前の人が終わると、「行きなさい」。ハワイのおっかさんにお礼を言って窓口へ進んだ。おかげで5分もしないで入国審査が完了し、とても助かった。寝てる13キロをだっこしての1時間は、かなりしんどい。以前、TDLのスプラッシュマウンテンで12キロをだっこしながら2時間並んだ時は、1週間腰が痛かった。

日本時間では深夜なので、ほとんどの小さな子供は親にだっこされていた。人の群れの中に埋没していると、ハワイのおっかさんに発見されなくて、子連れ優先サービスが受けられないこともありそうだ。なぜなら、後からどんどん子連れが出て来るかと思って後ろを見ていたが、そうでもなかった。

入国審査が早かったためか、荷物のターンテーブルはまだ動いていなかった。5分くらいして動き始めたら、すぐにわが家の荷物が出てきた。こーいう点もビジネスクラスのいいところ。なお、ビジネスクラスの客のパスポートには成田でのチェックインの際に「ブルーレーン」といシールが貼られて、このブルーレーンに行けばスピーディに税関審査を受けられる、というはずだったが、見渡したところホノルル空港にはブルーレーンがなかった。税関がそんなに混んでいなかったので、ブルーレーンが設置されなかったのかもしれない。

出口には、たくさんの現地ガイドらしき人たちが、ツアーの旗などを持って待ちかまえている。レイを持った人もいる。ツアーだと、ここで、レイを首にかけてもらえるに違いない。しかし、ツアーではない私たちを出迎えてくれる人はいない。だからレイももらえない。ちょっと寂しい気がする、せっかくハワイに来たのに。

そのまま表へ出て、レンタカーのバス停らしきあたりへ。すぐにハーツのバスが来たので、大きく手を振って乗せてもらった。運転手のおじさんが、スーツケースと大きなバッグを車内に運んでくれる。こーいうのも、子連れには助かる(この時点では、まだ私は娘をだっこ中)。5分くらいで、ハーツのレンタカー基地の事務所に到着。運転手のおじさんは、わざわざ事務所の中まで荷物を運んでくれた。ありがたい、荷物は2個だけど、ここでは3ドルのチップを奮発した。

レンタカーは、やっぱりあった方がいいかなあと思って、UAのレンタカー券(ホテル半額券と同時に送られてくる)でアップグレードができる会社の中から、いちばん信頼できる気がするハーツを、出発直前に日本で予約した。現地で予約するよりも安く、コンパクトサイズで1週間(7日間)でLDW保険込みで149ドル。その他の保険が1日につき13ドルくらい。アップグレードされ、この値段でミッドクラス、ピカピカのレガシィを貸してくれた。日本でも売れている黒っぽい色、走行はわずかに5000マイル程度。これはほとんど新車、ラッキー。

 ホテルまで

ガイドブックやハーツでもらった地図を見ながら、ワイキキを目指した。そんなに難しい道ではないが、ロイヤルハワイアンだとどこの出口でハイウェイから降りればいいのか良く分からなかったので、ワイキキと書いてある出口で降りて、適当に走った。すると、ワイキキの繁華街に出た。急ぐ旅でもなし適当に走り回ってみると、だいたいの街の構造が分かってきた。ワイキキ近辺をスムーズに走るためには、一方通行の向きを覚えるのがコツのように思われる。

地図をよーく見て、ロイヤルハワイアンの入口を発見し、カラカウア大通りから曲がって小道へ。シェラトンワイキキの前を通り過ぎ、さらに奥に進むと芝生の小さな広場、その向こうに見えた、ピンクパレス、本当にピンク色、すごい色。

さて、このあとはどうしたら良いのだろうかと思って、クルマ寄せのかなり手前の地点で停車。「ちょっと待ってろ、様子を見て来る」と私だけクルマから降りて、他の客の様子を見物した。都合良く、レンタカーの客がきた。白人のカップル。クルマから降りて、そのままホテルに入っていく。残されたクルマはベルボーイが運転して、シェラトンワイキキ方面へ走り去って行った。駐車場への出し入れはベルボーイがやっている。これが、うわさに聞いていたバレット・パーキングか、ふーむ、初めて見た。

クルマを預ける時はチップは不要、持ってきてもらう時に1ドル、と何かの本に書いてあった気がするが、自信がない。そこで、さらに別のクルマを待った。先ほどよりも接近して、乗り降りする様子が見える場所へ移動。すると、またもやレンタカー。クルマのカギをベルボーイに渡したが、チップは渡していない。しっかり見えた。白人中年カップルはそのままロビーに消えていった。

なるほどこーなっているのか分かったぞ、と急に自信をつけた私は、クルマに戻って「よし、行くぞ」と車内の一族郎党(寝ぼけている者2名)に号令をかけ、サングラスをかけ直し、堂々とクルマ寄せへクルマを向けたのであった。

 チェックイン

長い旅路の末、やっとホテルに着いた。ベルボーイがドアを開けてくれて、「Good morning, sir」。トランクにはベルボーイ、荷物は運んでくれるらしい。

娘の手を引いてフロントへの階段を上ると、途中に色鮮やかなスカート。見上げると、長い髪のハワイの美女。手にレイを持っている。誰か大切な客でも来るのかな、と後ろを振り返っても、カミさんしかいない。何だろうと思っていると、にっこりと私に「アロ〜ハ〜」、そしてレイをかけてくれた。続いて娘に、そしてカミさんにも。

うれしい! やっぱり、ハワイなんだから、レイをかけてもらわなければいけないのだ、と内心は思っていた。ツアーではないため、空港では誰もレイをくれなかったので、少々寂しく思っていた。まさか、ホテルでレイをかけてくれるとは思わなかった。昔の映画では、飛行機のタラップを降りると下でレイをかけてもらっていたから、レイは空港でのものだと思っていた。

さらに、こんな美人は、空港でレイを持って待ちかまえていた人の中にはたぶんいなかった。みんな、おばさんかおじさんだった。空港でもらうよりも、何倍も得をした気がする。レイの材質は、大人用は生花でいい香りがする。娘がもらった子供用は、キャンディーをつなげたもの。

静かなロビーの一角にあるフロントで、予約確認書とシェラトンクラブ・ゴールドカードとクレジットカードとホテル半額券4枚を出す。手続きが終わると、フロントマン(渋い感じの白人中年男性)は、カードキーを2枚取り出した。さて、我々のリクエスト通りであるか否や、個人旅行の場合は、まずはフロントが勝負だ。もしもリクエスト通りでない場合は、この立派なヒゲを相手に、寂しいヒゲの私のつたない英語力でわーわー頑張らなければならない。

「中層階のタワー・オーシャンフロントであるか?」、「左様でございます」。「ツイン+エキストラベッドであるか?」、「ご用意してございます」。「全部で8泊で、半額であるか?」。「その通りでございます」。ということで、すべてリクエスト通りだった。あー良かった。

 部屋への案内

若い、いかにも学校を出たばかりという感じの白人ボーイの案内で、部屋へ向かう。ホテル内は静かで、高い天井、ふんわりした絨毯、大きくて重そうなドアなどを眺めつつ、トコトコ歩きの娘の手を引いて、ゆっくりと進む。ボーイは角を曲がるたびにうつ向き加減にちらと後ろを振り返り、私たちの位置を確認し、あまり離れないようにゆっくりと歩いてくれる。まだ若いのに、なかなかの身のこなし。こういったさりげないところまでサービスがしっかりしていて、さすがに歴史のある高級ホテルだなあと感心した。

本館をはじからはじまで歩いて、美しい中庭に面した渡り廊下を通り、新館のエレベーターホールへ。この隣がプールで、その向こうにビーチがちらっと見えた。新館は、ほぼビーチと平行に建っている。

16階建ての12階で降りて、左へ4部屋目、1207号室のドアを開けた。さあ、もう1回、勝負の時。すぐに部屋をチェックして、リクエストの通りでなかったら、この場で文句をつけないと、タイミングを逸してしまう。

部屋はまあまあ広く、ツイン+エキストラで3台のベッドが並んでいる。海側の壁はほぼ全体が窓、その向こうは4畳半くらいはありそうなラナイで、白いテーブルと2つの白い椅子。ラナイからの眺めはかなり広々としていて、さすがオーシャンフロント。部屋の説明を聞いて、その際にクーラーの効きと風呂のお湯の出をしっかり確認した。部屋については文句はない。「すべてOKだ、ありがとね」とボーイにチップを2ドル(通常1ドルのところを奮発したつもり)渡すと、やや頬が赤い顔がとても嬉しそうに「Thank you, sir」。たった2ドルだが、あげた方も気分が良くなれる笑顔であった。

スーツケースとバッグは、数分後に別のボーイが持ってきた。こっちも2ドルのチップ。あまり嬉しそうな顔はしなかったので、これは相場並みだったのだろう。

 部屋の様子

あらためて部屋を見渡すと、テーブルの上には、こんもりとしたウェルカム・フルーツバスケット。これは食べごたえがありそう。でも皮をむくのにフルーツナイフがいるなあ、後で買いに行こう。そしてウェルカム・カクテル小パーティ(と思われる催し)の招待状があった。服装は、スマート・リゾート・ウェアで、午後6時〜7時、場所はローリィーン・ルーム。さて、スマート・リゾート・ウェアとはいったい何ぞや?、長ズボンとエリ付シャツあたりを指すのだろうか?、それともネクタイ着用か?、はたまたアロハを着なくてはいけないのだろうか?、うーん、これは他の出席者の服装を偵察して、それからみんなに合わせた服を着て行った方が良さそうだ、と思った。

が、このパーティー、ちょうど夕食の時間に当たってしまったので出席しなかった。どんな内容だったのか、ちょっと気になる。その後、1994年の10月にツアーでロイヤルハワイアン(旧館の普通の部屋)に行った友人の話では、このような招待状は来なかったという事なので、ツアー客は招待されないのかも、または新館の客だけしか招待されないのかもしれない。

度重なる戦い(戦いにはならなかったが)の末に、希望通りの部屋にたどり着いて安心したら、急に眠くなった。現地時間は朝の9時半だが、日本時間では明け方の4時半、眠いのは当たり前。時差ボケ解消のためには起きていた方がいいらしいが、プールサイドでのお昼寝を楽しみにしてやってきたわが家は、時差ボケしていても別にかまわない。また、人間生理学的には、日光をたくさん浴びると体内時計のずれが直る、という学説があるらしく、だったらあとでプールサイドへ行けば、そこで時差ボケは直るはずだ、と都合の良いことばかりを考えて、とにかくみんなでお昼寝することにした。

カーテンを閉めて暗くすると、テーブルの上に置いたレイが部屋をいい香りで満たしていく。冷房の効き過ぎを心配して少しだけ開けた窓から、かすかに波の音が入ってくる。どこでも良く眠れるカミさんは、横になって1分くらいでもう熟睡している。大きなベッドをひとつもらえて、うれしくてぴょんぴょん飛び跳ねていた娘も、それで最後の体力を使い果たしたか、お菓子のレイを握りしめたまま眠ってしまった。

身体は疲れているのに妙に頭が冴えてしまっている私は、妻子が寝静まってから熱いシャワーを浴びた。さっぱりして横になると、ようやく眠れそう。アーリーチェックインは1泊分高くつくけど、着いてすぐに部屋が使えるのは、子連れファミリーにはとてもありがたい。

次の項目 −−− 3.ホテルのプール

ロイヤルハワイアン滞在記(1993年7月) 目次

観光地としてのハワイの魅力・調査レポート メニューページ

トップページ