ロイヤルハワイアン滞在記

(1993年7月)


9.帰り道

 チェックアウト

毎日ナマケモノしているうちにすぐに7泊が終って、帰る日になってしまった。ようやく身体がダラダラした生活に慣れてきたのに、実に残念。7泊もすれば満ち足りるかと思ったのだが、全然足りない。帰りは9時半ホノルル発のUA821便。朝は空港への道が混むらしいので、6時に起きて7時くらいにチェックアウトした。

ホテルへの支払は2100ドルぐらい。エキストラベッドを含んでルームチャージは1泊202.5ドル、これに税金が8.44ドルと10.13ドルの2種類がついていた。8泊分のルームチャージ+税金で約1800ドル、さらに駐車場の77ドルを引くと、残りの200ドル少しがプールサイドカフェでの飲食となる。6日間プールにいた割にはあまり使っていない。セイフティボックスは有料だったはずだが、なぜか勘定書に計上されていなかった。

 レンタカーのチェックイン(返却)

空港のそばでレンタカーにガソリンを入れたら、1週間借りていたのにたったの8ガロン、12ドルだった。レンタカーを返す時にメーターを見たら、1週間の走行距離は182マイル、290キロくらい。これくらいだったら、島内一周の日だけ借りれば良かったと思った。

コンパクトサイズカーで、1週間でLDW保険込みで149ドル。その他の保険が1日につき13ドル=1週間で91ドル、それにバレットパーキングが7泊で77ドル、ガソリン代を入れると、全部で329ドルもかかっている。毎日アラモアナ・ショッピングセンターへタクシーで往復しても、1日15ドルくらい、7日で105ドル。空港とホテルの間のタクシーも、片道で20〜25ドルくらいらしい。ほとんど外出しないワイキキでのナマケモノ生活には、レンタカーは必需品ではないと感じた。

 機内

帰りの飛行機は、現地時間で朝の出発、日本到着は現地時間で夕方、日本時間では昼ごろになる。機内で娘があんまり寝てくれない(2時間くらいの昼寝しかしない)時間帯だ。なるべく長い間娘が寝ていてくれた方が親はのんびりできるので、また作戦をたてた。前日、朝は早く起こして、3時間くらいたっぷり昼寝させて、いつもは9時に寝るところを12時くらいまで寝かさないでおいて、当日の朝は早起き、寝不足のまま飛行機に乗せる、という緻密な作戦である。

結果は大成功。眠くて元気がなくて、飛行機に乗るまではずっとだっこだったが、離陸して食事が出て半分くらい食べたら座席の足元の毛布にコロン。そのまま延々と昼寝をしてくれた。4時間か5時間か眠り続け、起きたのは着陸の1時間くらい前。寝ていたのでパスした娘の食事(着陸前の食事)は、頼んだら持ってきてくれた。それを食べているうちに、高度が下がりはじめた。今回は行きも帰りも「親がラクチン作戦」がうまくいって、とてもラッキーだった。

機内はビジネスクラスで70%くらい、エコノミークラスで80%くらい埋まっていた。「日曜帰国の便は混む」と聞いていたのに、不思議。夏休み直前だと、ふだんとは違った状況になるのかもしれない。

 帰宅

帰国は7/11、日曜日。税関で開けられることもなく、すんなり外へ出られた。昼下がりの高速道路は渋滞もなく、順調に自宅に帰着。その日はいつもより早く夕食と風呂にして、片付けをすべて翌日以降に回して、夜8時(現地時間で夜11時)頃には寝た。その翌日は、時差ボケはほとんどなかった。

 費用概算

家計簿によると使ったお金は、娘の航空券13万くらい、ホテルに2100ドル(当時のレートは110円前後、日本円で23万)くらい、あとはこまごまとあって、全部で57万くらい。レンタカーを除いた交通費+ルームチャージ=35万くらいなので、22万が飲食と買物とレンタカーとその他雑費、1日3万くらいになる。ほとんどおみやげを買わないので1日2万と推定し、総費用50万くらいの計画でいたのだが、7万の赤字。

出発直前に入手したTCが1ドル134円くらい、帰国してしばらくして決済のカードが110円くらいで、この間に20%くらい円高が進行したことになる。現金のドルは30ドル(チップ用に全部1ドル札)、TCは400ドル(20ドルを20枚)だけしか持たず、支払の大半はカードにしたのだが、これが今回は大正解だった。カード支払は30万くらいになったので、20%の円高がなければさらに6万も多く支払うところだった。

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