万恒河沙 巫女と似非探偵と怪人のいる処-和風ファンタジーと不条理小説


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ひとくいのかがみ/しんちゅうあそび

神田川一生氏の災難


神田川一生と夏の災難。
嵐が来たりて、笛を吹く。
警視庁猟奇課警部であらせられる神田川一生氏は、久々の有給休暇のすがすがしい朝を迎えていた。いや、迎える予定だった。目覚めると、神田川一生氏は何故か嵐の中に漂う船の上にいた。周囲を見渡すと、そこには絵に描いたような海賊姿の方たちが、忙しそうに働いていた。どうやら、理由は解らないが神田川はとんでもない所に居合わせてしまったらしい。だいたい、昨日は自分の家で寝た筈なのに、何故嵐の中の船に布団を敷いて寝ていたのか、神田川は皆目つかなかった。自分が巻き込まれている状況が飲み込めない神田川は仕方なく布団の端を握り締め固唾を呑んで周囲を生温かく見守るしか術はなかった。
不条理な事、この上ない。しかし、だいたい嵐の中で布団に包まったままでいられる事自体、変である
目を点にして、ムンクの『叫ぶ人』を化している神田川を横目に、有象無象の船員の中から船員その一が飛び出した。しかも、彼は何故か手にはマイクを持っていた。
「さて、みなさま、この船を襲った嵐は、一向に止む様子がありません。どうやら、嵐は私たちを見逃す気はこれっぽっちもないようです。それどころか、ますます嵐は酷くなってきています。さて、ここで問題です。嵐は何故止まないのでしょうか?
三択でお願いします。
一、前方の大岩の上でグラマーなセイレーンが歌を歌いながら、色っぽくおいでおいでしている。
二、後方に触手で物体Xな船幽霊が柄杓をくれくれと、どんちゃん騒ぎを起こしている。
三、船内で陰気な雨男が雨乞いの舞を嬉しそうに飄々と踊っている。
さてさて、何番が正解でしょうか?正解者には幽霊船クルーズ恐怖と戦慄の旅一週間にご招待!!」
そう、この大嵐の中で乗組員その一は非常に嬉しそうに、マイクを握り締め身振り手振りも激しく実況中継をしていたのである。人間、やる気になれば何でもできるものである。
「全部だ、全部」
どうやら船長らしい男が鷹の眼光で前方と後方と船内を睨み付けながら、地を這うようなおどろおどろしい声を出す。それにしても、わざわざ三択問題にした意味がないじゃないか。畜生。
「どうしましょうか。どうせ同じ死ぬのなら、美人のセイレーンの腕の中にしましょうよ、船長。ぜったいにソレが良いです。何だか良く解らない物体の船幽霊や陰気な雨男の腕の中で死ぬのは僕はイヤですよっっっ」
まぁ、普通は誰でもそう思うに違いない。私も何だか良く解らない物体の船幽霊や陰気な雨男の腕の中で死ぬのは真っ平ごめんである。しかし、諦めの悪い船長さんはどこからともなく取り出したハリセンで厭というほど乗組員その一の後頭部を小気味よく殴り飛ばした。
「馬鹿たれ、信じるものは救われる。祈れ、祈るのだ」
しかし、祈ったところで、どうにもならないことは多々あるものである。船は未だ何がなんだか把握できていない神田川を乗せたまま、これでもかと言うくらいにあっけなく沈没した。
「お願いだから。最期に、そのはりせんをどこから出したのか教えて!!」
神田川が気を失う直前に聞いたのは、乗組員その一の悲痛な叫びだった。やはり、謎を解きあかさなければ死に切れないのが人情というものである。
ところで、哀れな神田川の運命は如何。
神田川が次に気がついた時には、船は姿も形も見えず、空は真っ青で天気が良かった。どうやら、神田川はとりあえず島にたどり着いたものと見える。結構、悪運の強い奴である。しかし、しかしいったいココはどこだろう。途方にくれた神田川が、辺りを見回すと島の奥の方になにやら風景と似つかわしくないカラフルな色が見えることが解った。神田川はとりあえず、そこまで行ってみることにする。下草がごそごそと言う。暫く歩くと、神田川の目の前にお菓子の家が現れた。お菓子の家の前には魔女が、見覚えのある人物たちがお茶会を開いていた。よく見てみれば、お菓子の家には『葬儀屋のティールーム』と書かれた大きなプレートが取り付けられていた。
はっきり、言って妙である。因みに言い添えておくと、なぜゆえ、葬儀屋がティールームを営んでいるのかなどの疑問はこの時の神田川の頭には全く浮かばなかった。
「いらっしゃいませ」
突然、可愛らしい声が神田川の背後からかかる。神田川が振り向くと、クラッシックな形だがショキングピンクのドレスに白いレースのエプロンに白いサービングキャップ姿の可愛らしい十二、三才の少女が微笑んでいた。胸のところにつけられた(ートの形を した小さな名札にはギニョールと書かれている。それにしてもこの少女といい、黒いシルクハットを頭に載せたアロハシャツ姿の男といいはっきり言って、何かおかしい。しかし何がおかしいのか神田川は言葉で表現できなかったし指摘することもできなかった。その時点で神田川氏の負けである。
「それで、何をご注文ですか」
「何で?」
「だって、ここティールームですもの。お茶の注文をするのに決まってますの」
妙にこまっしゃくれた少女の態度。少女の態度に負けた神田川は素直に案内された席に座る。印象の薄い顔のアロハシャツの男が唇を歪めるような笑みを浮かべた。なんとなく、頭をよぎる厭な予感。
「それで、何をご注文ですか?」
にこにこにこ。ギニョールの異常に期待のこもった眼差しに何となく期待に応えなければと言う気にならざるえない。
「な、何かあるのかな」
少々おののきながら、神田川が尋ねる。ギニョールがよくぞ聞いてれましたと、応えようとしたその時。唐突に前触れも意味もなく目の前に殺人鬼が現れた。何故殺人鬼と解ったかと言うと、彼が血まみれの上に、手には錆びついた血塗られた斧を持ち、背中には当代一の殺人鬼と書かれたノボリを交差するように2本たてていたからである。まるで桃太郎みたいな殺人鬼である。わざわざノボリを立てているのは何か意味があるのか、はたまた殺人鬼氏のポリシーか。ま、親切と言えば、親切かもしれない。殺人鬼氏は、顔を包帯でぐるぐる巻きにし、その包帯の間から見える瞳は真っ赤に充血しどこかにイっちゃたヒトの眼差しをしていた。そしてその視線は神田川にじっと注がれていたりする。
荒い息が耳に付く。
神田川は殺人鬼に引きつった愛想笑いを返す。そして、後も見ずに逃げだした。もちろん殺人鬼はその習性から、神田川を追いかける。(どんな習性やねん)恐怖の鬼ごっこの始まり。あっ、と言う間に神田川と殺人鬼は葬儀屋のティールームからその姿を消したのだった。
「そうぎやぁ。またアイツ邪魔しましたー」
客を逃がしたギニョールの悲痛な叫びがその場に広がったの言うまでもない。それにしても、もしかして殺人鬼くんは客が来るたびに営業妨害をしていたのだろうか。していたとすると、結構マメな殺人鬼である。
一方。殺人鬼に追われてしまった哀れな神田川は、まだ逃げていた。本当に、ご苦労さんである。
「なんで、こんな所に来て殺人鬼と言う、いかにも通俗的なモノに追いかけられなきゃならんのだっっ。これじゃ、今回、逃げるしか能がないみたいじゃないか」
もしもし、そこの人、きっと今回だけじゃないと思います。
「そ、それは。ち、違わないかもしれないっっ」
作者の指摘に、神田川は殺人鬼に追われているわが身を振り返り素直に頷いた。頷いた神田川の足が宙に浮かぶ。足の下は崖だった。それも断崖絶壁だ。どうやら背後の殺人鬼を気にするあまりに足元の注意をおろそかにしていたものとみえる。結果、神田川は叫び声を上げる暇もなく、呆気なく崖下に落下していった。そして、落下の途中で神田川はその意識を失ったのであった。
神田川が目覚めると船の上だった。嵐が来たりて笛を吹く。安土桃山時代の絵に出てくるような異国の恰好をしている人々が忙しそうに動き回っていた。どうやら、神田川はとんでもない時に出現してしまったらしい。
さて、彼は夢を見ているのか、それとも恐ろしい現実か。状況が飲み込めない神田川は布団の端を握りしめ固唾を呑んで周囲を見守っているしかなかった。

ぐるぐる回る回転木馬。
フィードアウト

神田川一生と秋の災難。
目醒めると、神田川一生は自分が黒々とした長蛇の列を形成する一部になっていることに気がついた。
長蛇の列。
傾きかけた元は豪華だと思われるお屋敷の廃墟の前に紳士淑女諸君が無言、無表情で整然と二列で並んでいる。どれも、これもが精巧な仮面をかけているように思える面差しをしていた。
不気味な画一的で無個性な光景。
神田川は何故自分が目が醒めたばかりなのに、この列に含まれているのか皆目解らない。皆目解らないが、自分が列に並んでいることに付いての違和感、不思議、疑問がない。何故なのだろうか。ふと気づけば、神田川の手には白い封筒。中を開ければ神田川一生様と表書きをされた封筒の中身は金文字の美しい書跡の招待状だった。しかし、これが何の為の招待状なのか神田川には皆目見当がつかない。だいたい誰から来だのかすら解らないのだ。妙に甘美な混乱。地に足がつかない。妙に歪み、斜になっている光景。
謎の招待状。
セピア色の世界に紅葉と夕暮れだけが、赤く色づいている。秋の夕暮れ。黄昏時。
屋敷の扉の前に、麗しき女中さんがご登場。神田川がよく三時のおやつをたかりに行く清廉潔白探偵事務所にいる女中さん達の恰好と似たりよったりな服装をしている。白いエプロン、黒いロングワンピースに、白いサービングキャッブ。一分の隙もない女中さん姿。その無機的な顔に浮かべるは、不気味とも感じられる微笑み。
次々に差し出される、封筒。お客は封筒を差し出すと、吸い込まれるように屋敷の暗い闇の中に次々と消える。まるで蝋燭が暗闇の中で消えるように屋敷の中に消えて行った。
自分の順番が刻々と迫る。差し出せば簡単に事は終わりなのに、何故かヘンだ、ヘンだと頭の隅で何者かが駄々をこねるように手足をじたばたしながら囁く。自分の意思とは無関係に動く手足。
「招待状をお持ちですか」
女中さんのいびつな笑顔。微笑む為の機能を持ち合わせていないのに、無理をして笑っているかのようであった。不気味としか表現のしようがない。神田川の体を名状しがたい恐怖が包み、躊躇が心の中を踊る。しかし、残念なことながら神田川の腕は全くそうは思わなかったらしい。腕は神田川の了解を得ることなしに、勝手に招待状の入った封筒を差し出そうとした。
そこへ、招かねざる客の登場。
「すみませんね。招待状は持っていないんです」
差し出そうとした神田川の腕を止める、青白い華奢な手と聞き覚えのある落ちついているが鈴を転がすような声。
神田川が横を向くと、彼が良く見慣れた黒い和服の人物。清廉潔白探偵事務所の所長の聖玲だった。玲は品の良い笑顔を浮かべてはいるが、碧の瞳は全く笑っていない。神田川が見下ろせば玲の腕は、神田川の意思とは反して動こうとする腕をしっかりと押さえこんでいる。いつもながら、その華奢な躯からどうしてこんな力が出るのかと神田川は妙なところに感心した。
「それでは困ります。招待状がなければ、中には入れませんよ」
女中さんの少し困った顔。その硬い声に焦りが微かに孕まれる。どうやら、女中さんは招待状がなければ中には入れないが、それとは裏腹にどうしても神田川に屋敷の中に入ってもらいたい理由でもあるらしい。これぞ、二律背反。アンビバレンツ。
「結構ですよ。むしろその方が良い。神田川一生さん、行きましょう。こんなところにいる必要は有りません。早く立ち去るのです」
玲は珍しく、神田川の名を全部呼んだ。それどころか、更にけったいな事に声には軽い緊張すら含まれているようにも感じられた。引っ張られる神田川の腕。玲の手は万力にでもなったように、カ強く神田川の腕を掴んでいる。
「お客様っっ。困りますっっ、私がご主人様に怒られてしまいます」
悲鳴のような女中さんの声。意味不明、理解不能な罪悪感が神田川を苛む。思わず、手を引く玲を呼び止める。とことん、ひとの良い男であった。
「玲くん、ちょいとお待ち。何か悪いことでもしたかのように感じられるんだが」
玲からは、返事はない。しかし、神田川が、珍しく執拗に手を引く。玲はため息を吐きながら仕方がないと言わんばかりに振り向いた。その目には神田川を今にも『うつけ者』とでも言いたげな色が浮かんでいたりする。
「そんなことは有りません。それどころか、あちらの方が相当タチがよろしくないです」
玲は意味ありげな、笑みを浮かべる。なんとも言い表しにくい笑い声を立てた。神田川が何故と問いかけると、玲は妙にうっとりしたような顔になった。ぽってりとした紅い唇の片端だけ引き上げる笑み。
「目が醒めれば、解りますよ」
「何だって?」
神田川が聞き返しても、玲はくすくすと笑い声を立てながら、オウムのように繰り返すだけ。目が醒めれば、目が醒めればいったい何か解るのだろう。
いつのまにか、神田川の周囲は闇。その闇の中で、玲特有の笑い声だけが闇の中で響いている。そのうち、笑い声すら薄れていく。しなくなる。消えていく。消えた。泡のように消えてしまった。
目が醒めると、朝だった。いつものように、朝食と摂りながら朝刊に目を通す。目に飛び込んできたるは、猟奇事件。古い廃墟のような洋館にて、謎の怪死をとげた紳士淑女の話。紳士淑女の手には、各々招待状と書かれた封筒を持っていた由。
記事を読んでいる内に、神田川に襲いかかる目眩。くるくると天井が廻る。くるくるくる。くるくるくる。
目醒めると、神田川は自分が黒々とした長蛇の列を形成する一部になっていることに気がついた。

ぐるぐる回る回転木馬。
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神田川一生と冬の災難。
雪が降ります。しんしんと。
目が覚めると、そこは雪景色だった。トンネルを抜けるとそこは雪国だったよりも意外すぎる唐突な始まり。神田川は雪の中にひとり立っていた。それも、コートも羽織らずに普通のスーツ姿で立っていた。無論、寒くてたまらない。こんなところに突っ立ていても、最悪の結果が待っているだけだろう。しかたなく神田川は歩きだすが、天性の方向音痴のため自分がいったい何処を歩いているのか予想もつかなかった。
さくさくと、まるで片栗粉を踏んでいるような靴の下の触感。神田川は何処からきて、どこへ行くのか。それは誰も、本人すらも解らない。全くもって、情けない限りである。
暫く歩くと、目の前に歪んだ日本家屋が立っていた。いつかどこかで見たことのあるようなデジャヴゥ。しかし、たしかあの時は夏だったはずと神田川はひとりごちる。
夜神と書かれた表札。神田川は戸を叩いた。ガラス戸が開けられるとそこにはお仕着せを着た断髪姿の目元が凛と涼しそうな美しい女。神田川の脳裏に呉葉と言う名前が浮かぶ。しかし、どうしてそんな名前が浮かんだのか神田川はよく解らなかった。
「いらっしゃいませ、神田川様。御前がお待ちかねです」
女中は小さく、しかし丁寧に頭を下げる。
「御前?」
「お忘れですか?神田川様。神田川様は御前と約束されていたのですよ」
そういえば、そんな気もしないでもない。神田川は無言で頷くと案内に立った女中の後をついて行く。スリッパを履いていても足の裏がひんやりとする長い木の廊下。女は足音もさせずにしずしずと歩いていく。ガラス戸の外には白い衣装を纏った日本庭園が広がっていた。
女中が神田川を案内したところは、応接間と思われる場所だった。和室に洋風の家具。所々にオブジェのように配置されている蓮の花ような笠を持ったライトと今まで遊んでいたような風情の螺細細工の囲碁の台。女中は暫くお待ちくださいと言って奥に姿を消す。しかし、いくら待っても女中の言う『御前』は現れない。暇を持て余した神田川は続き部屋に繋がっているらしい障子を好奇心から開けた。
障子を開けると、そこは見知らぬ館のアンティーク、いや古ぼけた玄関ホールだった。何故、こんなところにいるのだろう。考えても思い当たりがでてこない。振り返れると開けたはずの障子までが存在していない。窓の外を見ればしんしんと雪が降っている。どうやら、ここも現在は冬であるらしい。とりあえず、なんとかして表へ出ようと試みたけれど叶わない。
仕方なく、神田川が扉に背をむけると、いつのまにか目の前に西洋風の館には似つかわない、頭を禿にした市松人形が宙に浮いていた。そして、彼女は人形のくせに気味悪くニタリと笑うと、いきなり神田川に襲いかかった。慌てて逃げだした神田川は、市松人形にまるで追われることで誘導されるように、階段を上ってすぐにあった扉に飛び込んだ。入る前にチラリと見た扉の名札には『森』と書かれていたような気がした。
扉の中は森。
二階にあった部屋の扉を開けたのに、そこは森だったのである。確かに間違いなく名札通りだが、何かがおかしい。驚いた神田川は扉の外にでようとするが、またもや意地悪な扉は開かず、鬱蒼とした森の中を彷徨う羽目になったのだった。どうやら、館は外見と内部が一致していないのだろう。けっこうはた迷惑な館ではなかろうか。
神田川が、迷路のような森の中をしばらく彷徨っていると、大きな木が一本たっている広場のような場所へ出た。傘のように広がった木の下で行われているのは、お茶会。お茶会には三人の怪しい人影。ひとりは少女。ひとりは男。そして、ひとり(?)は人間大の兎だった。少女はレースで縁取られた黒いビロードの服を着、男は黒い夜会服を着、そして兎は緑色の制帽と詰め襟のような上着を着、三日月兎印の配達屋さんと書かれた鞄を肩からさげていた。
おかしな、おかしな三人。
三人は神田川を見つけると一方的に会話をして、煙のように消えてしまった。無人のお茶会。三人の会話から、要するに、神田川はこの館から逃げだそうとするのならば自力でしか出来ないことを悟った。
さて、館から逃げだすか、それともこのおかしな館を見物して回るか?選択権は珍しく神田川の手に委ねられていた。神田川は自分の運命を決めかねながら、廊下へ出る。
廊下では、隠密同心が辻斬りをしていた。なんて、こんなところでよりによって、しかも隠密同心が辻斬りをしているのだろう。それも、百人斬りまであと一人などど言っているではないか。その、記念すべき百人目は神田川なのだろうか。
冗談じゃない。逃げてやる。神田川は心にそう決めて逃げだした。彼は自分が、恐怖と悪い冗談の連続で造られた悪夢のような迷宮の奥へ向かっていることなど知る由もなかった。その後につぎつぎに、神田川の身にふりかかる不幸は推して知るべし。
「私の一番大事なものを隠す」という内容の古びた書きつけを、とある部屋で見つけた神田川は奇妙な住人に惑わされ、その上何故か廊下を行商していた金魚売りに、金魚を売りつけられ、おまけに伝説の首なしの血まみれの騎馬に遭遇し、笑う大岩に追いかけられたにもかかわらず珍しく見事自力で謎を解いたのだった。
ようやく、神田川は探していた宝を見れるのである。重厚な雰囲気を持つ鉄の扉はいかにも秘宝が隠されているのに相応しい。神田川は、期待を込めて重苦しい鉄の扉を開けたのだった。
そして、鉄の扉のなかには…期限切れの応募券がごっそりためられていたのだった。傍らに置いてある立て看板には黒々と威厳のある大きな字で「私の宝」と書かれている。どうやら、この館の主人は応募券を集めるのが趣味だったらしい。
ここまで、よくもまあろくでもない趣味をしていたものである。そして、神田川はここまでの苦労と、あまりの結果に対して速やかに気を失うことにしたのである。
目が覚めると、そこは見知らぬ館のアンティーク、いや古ぼけた玄関ホールだった。何故、神田川は自分がこんなところにいるのかよく解らなかった。考えても思い当たる節がない。考えても、わからないものはわからないのでとりあえず、館の中を見学しようと、すぐそばの扉の中に足を踏み入れたのである。しかし、残念ながらそこには目ぼしいものはなく、神田川は室外に出ようとした。玄関ホールに続く扉を開けると、目の前に何故かマネキン人形が婚姻届を手にしてたっていた。目を凝らして、マネキンの持つ婚姻届の配偶者のを見ると、驚くべきことに神田川の名前が書いてあった。その上、マネキン人形の胸のところに付いていた名札の名前はもう片方の配偶者の欄と同じ名前であった。どうやら、神田川は見知らぬマネキン人形に結婚を迫られているらしい。またもや襲いかかる既視感に神田川は目眩を起こす。
マネキンは、目のない真っ白な顔の中で、唯一の色である真っ赤な唇を花のように綻ばす。そして、マネキン人形にありかちなポーズを取ったまま、カタカタと躯を軋まして、神田川の方へやって来ようとしたのである。もちろん、神田川は後も見ないで逃げだしたの言うまでもない。どうやら、神田川はいくらもがいても、この悪夢から逃れることはできないらしい。 雪が降ります。しんしんと。
気がつくと、そこは雪景色だった。トンネルを抜けるとそこは雪国だったよりも意外すぎる唐突な始まり。

ぐるぐる回る回転木馬。
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